江南一周游―第六天

日付変わって3月17日(月)。今日で蘇州は最後。明日は上海に移動です。遅きに失した感はありますが、中国とて土日は休み。月曜日の今日に一気に仕事を片付けてしまいます。
というわけで朝イチで目的地に。ところが、さすがは中国。「今日は休みで係の者がいない」と言う。月曜日だろうがw
どうやら臨時休業のようです。休日出勤していた方のご厚意で中に入れてもらったものの、結局所期の目的は果たせず。そこで得た情報で、もう一つ二つ行ってみたら有益かも、という場所が分かったので、午後はそちらへ回ることに。そこまでの移動の途中でいろいろ見ていこう、ということになりました。

一行のほとんどは、昨日私が行った山塘街には行ったことがないというのでまずはそちらに。
臭豆腐」の店です。クサイんだこれが。隣の写真には私を狙う怪しげなパパラッチw
 
昼食後、せっかくだから船に乗ってみよう、ということになりました。
運河の両側には民家が建ち並んでいます。蘇州ならではの眺めです。
  
今ではそれほど多くはありませんがかつては輸送・移動の小舟が頻繁に行き交っていたはずです。
蘇州に限らず江南では、これらの運河は城内のみならず都市間の交通にも重要な役割を果たしていました。宋代には江寧府(南京)のちょい東を起点として長江から南西へ伸びる大運河が走っていて、これが蘇州あたりで南に方向を変え、杭州まで通っています。で、昨日訪れた寒山寺あたりがその大運河から蘇州城内へ入る時の入り口のような役割を果たしていたんですね。だから寒山寺を詠む詩が多いわけです。ま、名刹だというのもありますけど。閑話休題

さて、船を下りて、次のところへ行くにはまだ時間があるということなので、昨日行きそびれた所へ行くことにしました。行き先は「范氏義荘跡」です。
「范氏義荘」というのは、宋代の官僚である范仲淹が、一族の救済・保全のために設けた施設です。不動産を所有し、その土地の上がりを一族に分配したり援助に使ったりするというしくみをとっています。後世、さまざまな義荘が設けられましたが、そのモデルとなったのが「范氏義荘」です。
昨日は場所がよく分からなかったのですが、今日はちゃんと住所も聞いてきたのでバッチリです。このような狭い路地(范荘前)を進み、そのどん詰まりにある景范中学が義荘跡です。…うん、確かに昨日このあたりを歩いている。なぜ気づかなかったのだろう?w
 
普通、中国の学校は守衛がいて関係者以外は入れないことになっていますが、日本人である旨を伝えて中に入れてもらいました。
学校の入り口には文化財であることを示す石版。中には「史迹陳列館」。陳列物はほとんどなし。
 
陳列館の前には義荘に関わる石碑。これは元朝が義荘・義学に免税・免役特権を与えた時のもの。左は陳列館内の胸像。左右に「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」とある言葉が「後楽園」という名称の由来ですね。
 
というわけで、蘇州でもめでたく本懐を遂げました。が、さらに幸せだったのは仕事終わりの夕食だったかも。
ホテルの近くの新疆料理屋、カザフ族の店です。右はケバブ。羨ましいだろう?まさか蘇州で羊が喰えるとは思ってもいませんでした。ラグ麺もあったよ。
  

というわけで大満足の蘇州でした、最後にバーでビリヤードに負けたのを除けばw