『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』

『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』(公式サイト)

人前に顔をさらすのを嫌い、自身についてほとんど語ることのなかった偉大なる芸術家が、人生の最期に初めて、その半生と作品について語る。映画は当時93歳のカルティエブレッソン本人と、親交のあった写真家エリオット・アーウィットや昨年惜しくも亡くなった劇作家アーサー・ミラーなどの貴重なインタビューで構成されている。
撮影の大半は、チュイルリー公園を望むカルティエブレッソンの自宅で行われた。青春のメキシコ、捕虜収容所の脱走、戦時下のパリ、助監督もつとめた映画監督ジャン・ルノワールと の出会い、 “マグナム”の仲間たちとの思い出、マリリン・モンロー、ココ・シャネル、トルーマン・カポーティサルトルボーヴォワールら20世紀の“顔”を撮影したエピソード……。
そして、ついにカルティエブレッソン本人の口から“決定的瞬間”の謎が明かされる。
写真集『決定的瞬間』のフランス語版タイトルの意味は「逃げ去るイメージ」。そこには歴史的瞬間だけでなく市井の人々のなにげない日常の瞬間も捉えられている。カメラは、すべての人生の中に“決定的瞬間”を見いだす彼のまなざしそのものだった。彼はその瞬間を生き生きと語り、そして微笑む。そこには人生への愛が満ち溢れている。
カルティエブレッソンの死とともに写真の20世紀は幕をおろした。この映画はまさにカルティエブレッソンの“遺言”ともいうべき“奇跡”のドキュメンタリーである。(公式サイトより)

アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004)については、マグナム・フォト東京支社サイトの略歴を参照。


本編のほとんどが、彼の作品とインタビューを中心に構成されていますが、これにバッハ・モーツァルトなどの音楽が加わり、ただ写真集を眺めているのとはまた違った雰囲気が出ていて良かったと思います。
写真に対する造詣など全くない私ですが、はっとさせられる作品ばかりでした。大雑把に言って前半は風景、後半はポートレート中心に作品が紹介されています。ポートレートの中にも、例えばセックスシンボルとしてのそれとは全く異なる雰囲気を感じさせるマリリン・モンローの写真など素晴らしいものがたくさんありましたが、より強く印象に残ったのは風景を切り取った写真の「構図」です。
街角などの風景を撮った彼の写真は、ある対象、例えば佇む人だけを撮るというものではなくて、フレームによって切り取られた全体が、まるで一つの構造物のように一体となっている。佇む人の手前にも、奥にも何かが配置され、全体のバランスが素晴らしく取れている。それでいて決して作為的でなく、さりげない。一枚の写真のいろんな所に目を移して見てみる、というのが彼の作品の楽しみ方なのかも知れません。
最後は、窓際に座るカルティエブレッソンを窓の外から映した映像で終わるのですが、窓には外の公園とそこを歩く人々が映っています。これもまた「カルティエブレッソン」的構図で、おそらく意図したものなのではないでしょうか。


余談。三田村泰助『宦官―側近政治の構造 (中公文庫)』に収録されている「清朝最後の宦官」の姿を映した写真はカルティエブレッソンによるものだということに、今日はじめて気が付きました。また、文庫本に収められている写真は一部を切り取ったものだということも本編を見て知りました。作品としては全体を見るとだいぶ印象が違うのですが…ま、学問的にはどうでもイイか。