あの旅の法要-沢木耕太郎『旅する力―深夜特急ノート』

旅する力―深夜特急ノート

旅する力―深夜特急ノート

主に『深夜特急』の旅に関するエッセイを集めた「最終便」。
装幀が格好良い。『深夜特急』は最初に出版された〈第一便〉から全六冊に分冊された文庫本まで一貫したデザインの表紙になっていますが、これが見られるのもおそらく最後ですね。私は最初は『深夜特急』を文庫本で読んだので、〈第一便〉〈第二便〉にはあとがきのかわりにカバー袖に(筆者談)というものが書かれていたということは初めて知りました。その体裁まで一緒です、この本にはちゃんと「あとがき」があるんですけれどw
「あとがき」にも書かれているとおり、「深夜特急ノート」というタイトルは『coyote(コヨーテ)No.8 特集・沢木耕太郎「深夜特急ノート」旅がはじまる時』に一度用いられたもの。一応書き下ろしということになっていますが、ベースは『coyote』のエッセイ。これにいろんなところに断片的に掲載された文章をあわせて構成されています。
第一章は、旅に関する筆者の原体験と、ノンフィクションライターとしての道を歩み始めた時期の話。「マツザカヤ」の話は多分いままで聞いたことがない話です。
第二章・第三章は、『深夜特急』の旅の出発から帰国までについて。『深夜特急』でしか知らない人には、どうやって帰ってきたかという部分は気になるところなのではないでしょうか。
第四章は、『深夜特急』が作品として世に出るまでの経緯。帰国後の仕事について、旅による自身の変化、『深夜特急』を書く上でのスタイルの確立…。この章が一番面白いです。
その中から一箇所ピックアップ。

 もしかしたら、旅から長い時間が経っていたということは、マイナスよりプラスの方が大きかったかもしれない。自分の旅を読み直すというときの、その読み方が深くなった可能性があるからだ。時間が自分の旅をいくらか相対化してくれ、主人公の「私」に対してほんの少しだが距離を取らせてくれることになった。
 まさに、それは時間の効用というべきものであったろう。(p.215)

言葉を寝かせる、アイデアの醸成を待つ、という作業は紀行文に限らずどんな文章でも必要なことだと思います。速報性を求められる文章(新聞記事など)は良いとして、昨今は手軽に発信できるツールが多すぎる気がします。そのせいで、言葉がどんどん軽くなっていく。「ブログ書いているオマエが言うな」と言われればそれまでですが。閑話休題

第五章は、『深夜特急』が刊行されてからのいくつかのエピソードについて。旅の適齢期に関する部分は『天涯〈6〉』に付された文章で、以前にも強い印象を受けたものです。猿岩石の話は、まぁそうだよな、と。芸人としての有吉はその後のもろもろを経て今すごく頑張っていると思いますけど。

筆者は『深夜特急』が刊行されてあの旅そのものは死を迎えた、という意味のことを言っています。とするならばこの本はさしずめ「あの旅の法要」みたいなものでしょうか。あの旅にまつわる思い出を一つ一つ丁寧に語る言葉には、やはり、あの旅に対する深い想いが表れているような気がします。終章の最後の1ページから、本来淡々とした筆致が売りの筆者にしてはずいぶん熱い想いが込められているな、という印象を受けたのはボクだけでしょうか。「これがあの旅について書く最後の文章だ」という想いが。