今日の言霊・2007-01-18

豆腐屋が気に向いた朝だけ石臼を回して、心の機まないときは決して豆を挽かなかったなら商買にはならない。更に進んで、己れの好いた人だけに豆腐を売って、いけ好かない客を悉く謝絶したら猶の事商買にはならない。凡ての職業が職業として成立するためには、店に公平の灯を点けなければならない。公平と云う美しそうな徳義上の言葉を裏から言い直すと、器械的と云う醜い本体を有しているに過ぎない。一分の遅速なく発着する汽車の生活と、所謂精神的生活とは、正に両極に位する性質のものでなければならない。そうして普通の人は十が十までこの両端を七分三分とか六分四分とかに交ぜ合わして自己に便宜な様に又世間に都合の好い様に(即ち職業に忠実なる様に)生活すべく天から余儀なくされている。これが常態である。たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とする様な場合ですら、その芸術が職業となる瞬間に於て、真の精神生活は既に汚されてしまうのは当然である。芸術家としての彼は己れに篤き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高の多いものを公けにしなくてはならぬからである。

夏目漱石「思い出す事など」