被災地の赤ちゃん、中学へ 震災から12年(asahi.com)

 阪神大震災から12年。雨となった17日朝、被災地の公園で、街角で、それぞれの家で、人々は大きな犠牲と被害に思いをはせた。あの混乱のさなかに生まれた赤ちゃんたちは、この春にはもう小学校を卒業する。

 神戸市東灘区の市立本庄小6年の堂本太智(たいち)くん(11)は、震災当日、お母さんのおなかから出ようとした。

 「こんな時にごめんやけど」。母親が陣痛を訴えたのは地震発生から数時間後、夫婦で自宅近くに止めた車の中で、ラジオを聞いていた時だ。周りの家々は倒れ、まだ砂ぼこりが舞っていた。

 道は車で埋まって動けない。焦って焦って隣の兵庫県芦屋市の病院に翌日早朝に着いて、間もなく生まれた。父親は力が抜け、泣いてしまった。

 成長して誕生日を言うと、みんな興味を示す。「もうええやん」と言いたくなる時もある。けれど、この冬休みの宿題であの日のことを聞いたら、父親が初めて詳しく話してくれた。「自分で震災のことを話せるようになりたい」と思った。

 この日は小学校で震災祈念集会がある。太智くんは下級生の手をとって登校した。


 神戸市中央区の市立港島小6年の小西優子さん(11)はこの日朝5時に起き、神戸沖の人工島ポートアイランドにある自宅で勉強机に向かった。

 1月20日午後4時21分、病院の寒い部屋で産声を上げた。産湯がなく、バスタオルでくるんで懐炉で温めてもらった。退院すると、マンション5階の自宅には、近所の人たちがタンクで水を運んでくれた。その水でミルクを飲んだ。

 両親は思った。多くの人の世話になったから、人の優しさがわかる子になってほしい。だから、「優子」なんだよ。

 20日の誕生日に私立中学の入学試験を受ける。「動物が好き。将来は獣医師になりたい」


 兵庫県淡路市立富島小6年の川西愛香(あいか)さん(12)は、地震の15日前に生まれた。父親は旧北淡町の職員。発生翌日から10日間ほど役場に泊まり込んだ。母親は、愛香さんと4歳と2歳の兄を抱え避難した。

 地域では何人もが家の下敷きになるなどして亡くなったが、みな当日夕方までに出してあげられた。それが地域の人たちの誇りだ。

 避難所では近所の人たちが代わる代わる抱っこしてくれた。今も通りすがりに「体育館にいた地震の子やね」と声をかけられる。そんなふるさとが好きだ、と思う。


 被災地の歩みとともに、12歳になった。