『最高の人生の見つけ方』

最高の人生の見つけ方(公式サイト)
【評価】★★★★★
「末期ガンで余命6ヶ月」。そう宣告された二人の男が、人生でやり残したことを実現するために旅に出る。病気になるまでは出会う可能性など全くなかったはずの二人が、旅の中でかけがえのない友人へと変わっていく。幸せ、家族、友人、生きがい。いずれも人生に欠かすことのできないさまざまなものについて考えさせてくれる物語。

【注意】ここから先は内容に触れています。


歴史学者になる夢を諦め自動車修理工として46年間働いてきたカーター(モーガン・フリーマン)。一代で大富豪にのし上がったエドワード(ジャック・ニコルソン)。二人はともに末期ガンを患い、エドワードの経営する病院の同室に。家族の見舞の絶えないカーターに対し、エドワードのもとを訪れるのは秘書だけ。境遇の全く異なる二人が、互いの闘病生活を見守るうちに徐々に心を開きはじめる。ここのところの描写が、役者の演技力、とりわけ「眼」の力を存分に活かしていて素晴らしいと思います。
ある時、カーターが死ぬまでにやっておきたいことを記した「棺おけリスト」をエドワードが目にする。「荘厳な景色を見る」「見ず知らずの人に親切にする」「泣くほど笑う」など、内面に関わることばかりを記したカーターに対し、エドワードはリストに「スカイダイビング」「ライオン狩り」「世界一の美女にキスをする」などと即物的な内容を書き加える。富豪である自分の財産ならこれらのことは全部実現できるというエドワードの言葉により、夫・父・修理工という「役割」を果たすことに心血を注いできたカーターの「自分の人生を楽しみたい」という欲求に火がつき、二人は旅に出ることになります。

旅の途中の二人のはしゃぎっぷりも面白い(末期ガンの患者だということはこの際忘れましょうw)ですが、そこはモーガン・ジャック両先生の軽妙なやりとりを存分に楽しみつつリラックスして観て、香港あたりからもう一度のめり込むと良いでしょう。というよりそこからは否応なしに引きずり込まれてしまうわけですが。

香港でエドワードが設けた「ある仕掛け」により、カーターは自分にとって本当に大切なもの=家族に気づき、自ら旅を終えることを決意し、二人はアメリカに帰ってきます。帰国後、今度はカーターがエドワードに対し「仕掛け」をするのですが、これは彼の容れるところとはならず、二人は後味の悪い別れ方をします。
しかし、ガンの転移によりカーターが倒れ、二人は最後に再び心を通わせることになります。


一見すると二人には接点がないように見えますが、互いに「自分にないものを持っている」という点で、二人はベストマッチの存在として描かれています。何かを喪失することで何かを獲得した男(=カーター)と、何かを獲得したことで何かを喪失した男(=エドワード)。自分の夢の為に生きることを諦めたカーターに、エドワードは「楽しく生きること」の素晴らしさを教え、コピ・ルアクをネタに「泣くほど笑う」という彼の願いを叶えさせる。一方、人の温もりを得られなかったエドワードにカーターは「家族の大切さ」を教え、「世界一の美女にキスをする」という願いを、孫娘との初めての対面において叶えさせる。
やがてカーターが亡くなり、エドワードが弔辞を述べ、さらにそのエドワードの遺骨がエベレストの頂上へ「ある人物」の手によって届けられることで、リストの最初の方に書かれた項目は全て叶えられていきます。リストはまさしく二人によって、二人の共通の願いとして実現されてゆくのです。


冒頭、「エドワードが死んだ」というモノローグを入れているのは間違いなくモーガン・フリーマンなのですが、ラストの場面でこのモノローグを引き継ぎ遺骨を運ぶ「ある人物」、この人物が劇中でも非常に重要な位置を占めていると思います。主役の二人に隠れて目立ちませんが、とても良い役です。


観る前に想定していた以上に激しく感情を揺さぶられました。監督は『スタンド・バイ・ミー』のロブ・ライナー。97分とは信じがたいぐらいに濃密でありながら、97分だからこその最後のコンパクトさ。さっきも書いた「末期ガンの患者としてのリアリティのなさ」に目をつぶることができれば、心に深く残る作品になるのではないでしょうか。