『胡同の理髪師』

胡同の理髪師(公式サイト)
【評価】★★★★☆
オリンピックを控え、再開発の進む北京。「胡同(フートン)」とは北京の伝統的な街並みに見られる路地のこと。かつては街のいたるところに見られたこの迷路のような路地は、これまた伝統的形態の家屋である四合院とともに、再開発によって次々と姿を消しているようです。本作は、そんな昔ながらの四合院に住み、古なじみの客のもとを回って髪を切り、髭を剃り続けるチンお爺さん(民国2年(1913年)!生まれ、93歳)の姿を、ドキュメンタリータッチで描いた作品です。
チンお爺さんは実在の人物で、今でも現役の理髪師のご本人が演じています。このように一般の人をキャスティングすると、その演技力によっては内容が台無し、ということがあるのですが、チンお爺さんに関してはその心配はありませんでした。セリフなしで顔で芝居をするという場面がいくつかあったのですが、さすが93歳、味のある表情でした。
一方で、その他のキャストにも一般人を使ったのでしょうか、セリフ棒読みのおばさんが出てきたり、ところどころで気になることがありました。終盤で「お爺さん死んじゃった?」という演出を使いすぎたところと合わせて星一つ減点です。


実際の胡同もそうでしょうが、登場するのはほとんどが老人です。彼らには、身寄りがいないとか、息子と上手く行っていないとか、さまざまな問題があります。チンお爺さんの家も、再開発による立ち退きの対象になっていて、いつ壊されるかもわからない。彼らはそれを嘆いたり愚痴ったりするのですが、それでも現実を受け入れて毎日を生きています。その姿が実に清々しい。
もう一つ、彼らが気にかけているのは「いかに死んで行くか?」ということ。馴染みの客が亡くなったり、新しい身分証用の写真の話から遺影の準備を考えたり、否応なしに彼らは死を意識しながら日々を過ごさなければならない。それでも、死を恐れたりするのではなく、いかにきれいに死んでいくかを考えている。ボクはまだそのような年齢ではありませんが、果たしてああいう境地になれるのか、はなはだ心許ない。チンお爺さんの言葉。「人間、死ぬときも、こざっぱり、きれいに逝かないと」


終わりの方で、葬儀の準備に故人の略歴が必要であることを葬儀屋から聞かされたチンお爺さんが、カセットデッキに向かって自分の一生を吹き込む、という場面があります。結局そのテープをネコがダメにしてしまうというこの場面は、物語の展開上非常に重要な場面なのですが、個人的には語られている内容にとても興味を覚えました。お爺さんは「私塾に通い『三字経』『千字文』から四書五経まで学んだ」と言っているので、まずまずの家の出だと思われます。その後、学問で身を立てることを諦め武術、京劇を志して最終的には理髪師に弟子入りする。彼が青年期を過ごしたのは中華民国建国期、列強の大陸進出から日中戦争にかけての動乱の時代だったので、学問で身を立てることを諦めこのようにさまざまな道へ進んでいった人は多かったでしょう。一つの実例として興味深く聞かせてもらいました。しかし梅蘭芳の髪を切ったってのはすごいなw