江南一周游―第四天

四日目、南京から蘇州へ移動します。
今回の旅では、都市間の移動は全て「和諧号」、つまり新幹線を使ったわけですが、確かに列車そのものは速いものの、その他の部分には「いかにも中国」という不条理さ、非効率性といったものが散見されました。
我々が乗ったのは9:30南京発の列車。で、なぜか5分後に別の列車が出ることになっていました。もう少し時間をずらせよ、と思いつつも、待合室へ。
二つの列車の乗客はそれぞれ一階と二階の待合室に分かれて乗車を待つようになっていました。ここまではいい。問題はこのあと。
中国では決まった時間にならないとホームに入ることはできません。発車時間が接近しているので、二つの列車の乗客はほとんど同時刻にホームへ向かうことになります。一階で待っていた我々はエスカレーターで二階の連絡通路へ。そこには右手からもう一つの列車の乗客が…。「なんでここで混ぜちゃうのよ?」と思う間もなく人の波の中へ。その様子がこちら。花火大会で歩道橋で事故がありましたよね?日本で。ああいう事態を想定していないのかコイツらw
そして「なんで混ぜるのか」の答えはホームに降りて判明。5分間隔で発車する列車が隣り合わせに止まってる!21世紀になっても「混雑緩和」って発想は彼らには無いようです。これでこそ中国。
さて、途中の無錫駅で「上海-ラサ」の列車が停車しているのを見て、「暴動起きたから止められてるのかもね」などと話しながら*11時間半で蘇州に到着。
蘇州駅です。瓦屋根の駅舎の外観といい、駅前の混沌ぶりといい、典型的な中国の地方都市。
タクシーには長蛇の列、工事中でバス乗り場は分からない、バス停を見つけてバスがやってきても「昼飯喰うから」と運転手が姿を消す、ようやく乗ったら大渋滞で信号一つ通過するのに10分かかる、同行者が乗客にケンカをふっかけられる。1時間半、列車に乗っていたのと同じ時間を費やしてようやくホテルに到着。地図で見ると4〜5キロというところでしょうか*2
だんだんうまくいかなくなってきましたが、中国の旅はこれでなくちゃあいけません。こんなんでテンション上がるボクもどうかと思いますが、昔、貧乏旅行をしていた頃はこんな感じだったので、妙に懐かしい気持ちになりました。
さて、昼食を取ったあとは自由行動。中国でも土曜日は公共施設は休みなので仕事になりません。一人で、見ておきたかった場所を行けるだけ回ることにしました。
まず訪ねたのは滄浪亭。宋代の文人、蘇舜欽が屋敷として使っていたここは、蘇州でも有名な庭園となっています。とは言うものの、中国の庭園は日本と違い*3大きな石がやたらとたくさん並べてあって、私なんかはちょっと圧迫感を感じてしまいます。滄浪亭はちょっと狭いこともあって、その感じが強い。ただ、ここまで来て見ないわけにはいかないだろう、ということで、一通り見て回りました。




次は隣の文廟へ。文廟というのは孔子を祀る施設ですが、目当ては孔丘なんぞではありません。
ここは「蘇州碑刻博物館」も兼ねており、回廊には清代のものを中心に石碑が並んでいます。これらは政府の命令を石に刻んで民衆に知らしめるために刻まれたもので、立て札みたいな役割を果たしていたものです。
しかし、真の目的は清代のものではなく、宋代の石刻を実見すること。ここには宋代の四大石刻として「地理図」「天文図」「帝王紹運図」と「平江図」(北宋末に蘇州は「平江府」に格上げされました。)が収められています。残念ながら私が訪れた時には係のオッサンがいて撮影禁止ということで写真は撮れませんでした、私は、ね。後日同行者が行ってゴニョゴニョ…


あとは旧城西南角の城門を見て、バスで中心部まで行って玄妙観という道観(道教の施設)を見ておしまい。城門は陸門と水門が併設されている構造で、それは蘇州の街の特徴と関係があるんですがその辺の事情は明日以降の話。玄妙観の三清殿(写真)は時間切れで入れず。ここのみやげ物屋で買った笛は高音が鳴らずorz
夕方、ホテルに集合して夕食。明日は日曜日ということで、引き続き史跡を回ります。

*1:この日は3月15日。我々はホテルのNHK-BSで暴動が起きたことは知っていました。当然、中国のメディアはこの時点では何も伝えていません。

*2:後でいろんな所を歩いてみて得た感覚です。何せ中国の街の地図には縮尺が書いてないので。

*3:厳密に言えばこの表現は間違いで、こういう中国の庭園を禅僧が日本に持ち込んでアレンジしたのが日本風の庭園なわけですが。