『ひめゆり』

ひめゆり(公式サイト)
【評価】★★★★★

いわゆる「ひめゆり学徒隊」の生存者に対するインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー。
昨年、原爆を扱った『ヒロシマナガサキ』というドキュメンタリーを観ました。その映画は、アメリカが残した記録映像を交えて作られており、観た後にはその現実感に圧倒されたものです。
が、この『ひめゆり』はそれを超えるリアリティを持っているように感じます。なまじ映像で補わないからこそ、その迫力が伝わってきます。まさに「地獄」と呼ぶに相応しい、その壮絶な体験が。
「「忘れたいこと」を話してくれてありがとう」というのがこの映画のコピーですが、その「忘れたくても忘れられない記憶」がいかに一人一人の生存者の心に深く深く刻みつけられてしまったかは、前半で出てくる手足切断手術の様子を語る二人の証言者の話が細部まで一致していることによっても明らかです。目の前で見た切断・縫合の過程だけでなく、「切り離した手足はとても重い」という感覚まで同じ。
学友が死んでゆく様を克明に語る彼女たちは、当時まだ十代だった。「日に日に人間が変わってゆくのが分かった」と多くの証言者が語っています。同じ年代の若者と接する機会が多いのですが、彼らや彼女らのような年頃にあのような体験をしたとは、何とも言えないやるせなさを感じます。


無用の犠牲者を増やしてしまったのは、当時の国民を支配していた「日本は勝つ」「捕虜になることは恥だ」という教育。今の日本を「戦争できるまともな国」に代えたいと思っている御仁どもには、是非この映画を見て何かを感じて欲しい。とは思うものの、彼女たちの言葉を聞いても何も感じないからこそそういう言説が出てくるのかな、と一方で思ったりもします。
HP内の「生存者からのメッセージ」です。劇中、映像の角度のせいではっきり見えなかったのですが、ある石碑に「ひめゆり散華の地」と書いてあるように見えました。ボクの目が正しいとして、さらにご遺族の方の意向で刻まれた文字ではないと仮定して(もしそうであれば大変失礼なのですが)、あれほど無惨に生命が奪われた出来事を「華が散る」と形容するこの無神経さも、我々は反省すべきでしょう。最近は「お国のために」物語を美化する、語るに耐えない映画が多すぎる。生命は何か他のもののためにあるのではない。


最後の証言者の語り。「自分の思い出の中では学友はいつまでも十代のまま。自分が死ぬ時には学友にいっぱいお土産を持っていってあげたい」。生存者の皆さんが学友のもとに行かれる際には、映画冒頭で語られているような「生き残ったことに対する罪悪感」から開放されますように。