『それでも生きる子どもたちへ』

『それでも生きる子どもたちへ』:★★★★☆(公式サイト)

スラムは遊び場に。
ゴミ捨て場は冒険の場に。
まだこの世界に、
希望はある。


厳しい現実の中、それでも生きる子どもたちの輝く生命力。数々のエンタテインメント作品を世に送り続けてきた巨匠たちが贈る、心の底があたたかくなる、生きる強さを与えてくれる、そんな7つの物語。(パンフより)


【注意】ここから先は映画の内容に触れています。




少年兵士、ストリートチルドレンHIV感染、少年院など、さまざまな環境に置かれた子どもたちを描いたオムニバス形式の作品。
ユニセフ・WFP(国連世界食糧計画)などの後援で作られた映画のようです。「恵まれない子どもに救いの手を」といった調子ではなく、厳しい環境に置かれながらも逞しく生きる存在として子どもを描いています。リアリティの面では少々不満なものもあったのですが、それぞれの作品のメッセージは伝わってきました。以下、各エピソードごとに走り書き。

  1. タンザ:ルワンダの少年兵の物語。戦場の描き方にはかなり問題がありましたが、ラストの学校のシーンはよかったと思います。最後、タンザは黒板に残された問題に答えを書くわけですが、以前は学校教育を受けるレベルにあった子どもが少年兵にならざるを得ない状況を暗示しているのでしょうか。科白が英語というのはマイナス。
  2. ブルー・ジプシー:盗みの罪で入った少年院から間もなく出所する少年の、外の世界に対する思いを描いた作品。といっても彼は娑婆に戻りたいのではなくて、「外に出たら出たでまた親父に盗みをさせられる」と憂鬱になっているわけですが。監督はサラエボ生まれ。東欧っぽいユーモアにあふれ、一番笑えた作品。
  3. アメリカのイエスの子ら:HIVに胎内感染した女の子の物語。この作品における「親」の描き方には賛否両論あるんじゃないでしょうか。両親はドラッグ中毒で、どちらが先かは分かりませんがHIVに感染していて、娘のブランカに感染させています。最終的にウイルス感染を知ったブランカは両親に伴われて医療施設に行き、病気に立ち向かう勇気を得るわけですが、その前のブランカが感染を知ってしまったところから施設に向かうところでは「親子の愛」をアピールする場面が続きますが、この映画全体の狙いを考えると、むしろ親は徹底的に無力な存在として描いた方が良かったのではないでしょうか。「最後は家族愛」ってのは、それはそれで嫌いではありませんが、何か「アメリカ映画のステロタイプ」って感じがして少々気になりました。
  4. ビルー:前の「アメリカの…」がアメリカという国の救いようのない現状を反映しているのと好対照なのがこの作品。ブラジル・サンパウロの貧民街に住む兄妹の一日を描いたものですが、「暗さ」とか「悲惨さ」とは徹底的に無縁。家を造るレンガ代を稼ぐために徹夜でクズ拾いに回るわけですが、途中で拾ったクギでサッカーゲームを作って客を集めてみたり、果物売りのハートをガッチリ掴んで仕事もガッチリ掴んで見せたりと、逞しいことこの上ない。こういうのも「ラテンのノリ」って言うんでしょうか。セナ、懐かしい…
  5. ジョナサン:心に傷を負った戦場フォトグラファーが、森の中から聞こえてくる自分を呼ぶ声に誘われて進むと、自分が子どもになっていて…という重松清モノみたいな作品。主人公は本来は大人で、その大人が子どもに戻り活力を取り戻すという、映画全体の中では少々異色といえるストーリーかも知れません。
  6. チロ:窃盗団の一員である少年の、悪事に手を染めつつも子供っぽさをなくしていない姿を描いた作品。遊具に乗りたいんだけど乗らない、子どもと大人の境界を彷徨う姿が良いです。
  7. 桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ):裕福だが幸せではない家庭に育つ女の子が捨てたフランス人形。ある老人が、以前に同じ場所で拾って育てている少女のためにとその人形を拾う。やがてその人形が二人の少女を引き合わせ…。監督はジョン・ウーですが、その「ここで泣かせてやるぞコノヤロウ」的展開・映像は典型的中国映画のテイストが濃厚。子どもの描き方も「純真無垢」「天真爛漫」という、これまた中国における子どもの理想像。ただ、ラストで桑桑が母親に心中を思いとどまらせるという展開のこの作品だけが、子どもを「大人に勇気を与え、また大人を過ちから救う存在」として明確に描いている。子どもの理想像も含めて、それはそれで好きではあるのですが、映画全体のトーンからはちょっと懸け離れている感じがします。


原題は"All the invisible children"。見えないのは、世界各地で苦しみながらも懸命に生きている子どもたちだけではなくて、かつてはそのように生きていたはずの「内なる自分である子ども」なのかもね。映画の冒頭に出てくるサンテグジュペリの言葉。

大人は誰も、昔は子供だった。でも、そのことを忘れずにいる大人はほとんどいない。
−『星の王子様』