沢木耕太郎『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』

雑誌『暮らしの手帖』に連載されていたシネマレビュー(本人曰く「映画エッセイ」)を集めた一冊。このタイトルを一発で覚えられるヤツはいまい(笑

 間違いなく、「愛」という言葉は状況を切り拓き、新しい関係を作り出す。しかし、仮にその「愛」が成就したとしても、それが最終的なハッピーエンドに結びつくとは限らない。成就した「愛」は変容するからだ。姿や形を変え、それが「愛」であったかどうかということすら不分明になるほど色褪せてしまうことが少なくない。一方、成就しなかった「愛」は色褪せることなく、むしろ時を経るごとに鮮やかにすらなっていく。
 人生においては、「愛」という言葉を口にできないまま別れていくというのは格別珍しいことではないだろう。焦がれるというほど強烈な思いを抱かなくとも、淡い好意を抱きながらその好意を態度にも口にも出せないまま別れるということはさらによくあるように思える。
 そうした状況を描いた作品は、まるでかつて「愛」という言葉を口にできなかった二人のために存在するかのように、彼らを過去に引き戻し、過去の記憶を呼び起こす。
 おそらく、これからも、「愛」という言葉を口にできない二人が登場する映画はいくつも作られることになるだろう。見る人の心の奥に、「自分もあのとき口にできていたら……」という甘美な記憶が残っているかぎり、いつまでも。(本文より)