真の「不理解」とはこういうモンだ

比較文化論も良いけれど、こういう問題こそ大事なんだよ>王敏サン

「におうマナー」(朝日新聞2006年11月4日・特派員メモ)

 北京五輪を控え、マナー向上運動がかまびすしい中国だが、効果のほどに疑問符を付けざるを得ない目にあった。北京の五つ星ホテルのレストランで中国の知人と夕食を取っていたときのことだ。
(中略)
 におい始めたのだ。隣で若い母親が卓上でおむつを換えていた。面倒だったが、外で換えてもらえないかと、この母親に話しかけた。それが逆に、「お前とは関係ない。いやならお前の国に帰ればいい」とののしられた。
 私もさすがに切れた。マネージャーを呼んで、「隣りも私も客ではないか」と言ったら、「こんな客は100人に5人くらいだから」ととりつく島もない。
 「一人っ子政策もあって中国では子供はまさに宝物。子供のために多少マナーが悪くても許されるのだ」。怒りで汗びっしょりの私に知人は涼しい顔をして言った。そんな言い訳が、五輪で世界中からやって来る人たちに通用するのだろうか。

まず、当然ですが中国人全部が同じような反応をすることはありません。また、若い母親の言葉に「お前の国に帰れ」とあるので、ひょっとしたら相手が日本人であることを知っての反応だったのかも知れません。が一方で、「いかにも中国人らしい考え方だ」と思います。このエピソードのカギは「お前とは関係ない」のところです。


中国人と日本人の違いの一つに「公共の場に対する考え方」があります。「みんなが使うトイレだから」「みんなが歩く歩道だから」きれいにしよう、という考え方が日本にはある。それが厳然と守られているかどうかというのはひとまず措いて、「公共の場」という言葉から想起するのは「不特定多数の人々の場所」であり、その「不特定多数の人々」には「自分」も含まれている、というのが日本人の考え方だと思います。自分のことしか考えていないような人でもマナー違反を注意すると渋々従う、というのは、この考えがある程度共有されているからだと思います。
対して中国人。彼らにとっての「公共の場」も「不特定多数の人々の場所」であることに変わりはないのですが、その「不特定多数」に「自分」は含まれていないのです。
自分の経験では、中国人は親しくなるまでに時間はかかるがいったん親密になるととことんまで付き合う、というのが一般的な傾向のようです。知らないヤツにはとことん冷たい。自分のこと及び自分に「関係」のあること以外には関心がない。つまり「内と外」の区別をはっきり付け、前者を最優先するというのが彼らの考えの基本にはある。「公共の場」の捉え方にもこの考えが影響しているのです*1
最近は厳しく罰金を取るようになったのであまり見かけなくなったという「タン吐き」。あれも汚いものを「内から外」に出す作業で、「内」さえ良ければという考え方の表れだ、と私の先生は言います。「まず自分のことを考えなければあの世界では生きていけなかったからだろう」とも。


さっきも言ったように中国人みんながこうだというわけではありませんが、「内と外」というテリトリーに対する根本的な考え方は彼らの根底に必ずあります。だから公衆マナーを徹底させることは非常に困難だろうし、ましてやあと2年で何とかなるとは私も思いません。
一方でこれを「不衛生」「なってない」の一言で片付けるのではなく、「彼らはなぜこういうことをするのか」という点に留意して他者を見てみるのも大事なんじゃないでしょうか。同じ日本人にも「何だコイツ」という人、身近にいますし。例えば「応援に来ているはずなのにヤジばっかり飛ばしている人」とかねw

*1:この点、関西の人間の考え方は中国人のそれとよく似ています。