救いの手を差し伸べるのは…

今月15日、両足義足の登山家、マーク・イングリス氏が、両足を失ったものとして初めてチョモランマ(エベレスト)登頂に成功しました。登頂に成功しただけならば「ハンディキャップを克服して…」と称賛されて終わりだったと思うのですが、頂上から300m付近で倒れている男性を救助せず登頂を優先させたことが分かり、批判を呼んでいるようです。
新聞による簡単な報道しか知らないのですが、この問題の難しさは、①真実は当事者しか知り得ないこと、②我々凡人には登山者の置かれている状況を正しく想定できないこと、の二点にあると思います。
まず、イングリス氏は「遭難した男性はすでに手遅れの状態だった」と言っています。このケースではイングリス氏のパーティを含めて40人ほどが倒れている男性を横目に頂上を目指したようです。遭難した男性の状態は多くの人が見ているでしょうから、極端なウソは付けないだろうし、「酸素を与えようとした」とも言っています。彼の証言を信じるとすれば、イングリス氏は手を尽くしたとも言えそうです。
次に、登山者の置かれている状況についてですが、凡人の私から見てもやはり両足義足の登山家に、8000mを越える世界で何ができたかというのは疑問です。パーティみんなで男性を担いで帰れというのでしょうか。おそらく自分たちのアタックの為に必要最低限の物・体力しか残していなかったであろう彼らに。
遭難する方が悪いという意見に与するつもりは毛頭ありませんが、自分にも危険が及ぶかも知れない状況で救いの手を差し伸べられなかった(と自分の目に映る)からといって「人でなし」とか「そこまでして何で登りたいのか」といった批判をするのが正しいとも思えません。街の中で具合が悪くなった人に声を掛けるのとはワケが違うのですから。一つ確かなのは、当事者のことを慮る想像力もないのに分かりもしない世界のことにあれこれ言うのは控えた方がイイということです。ハイもうやめますが最後に一言だけ。

以前、本館のブックレビューで「登山家は自分自身を守ることを第一に考え、その上でパートナー・他人のことをサポートするものだ、ということを知った」と書いたのですが、まさにこの点が今回の件では問題の核心なのでしょう。そして私には遭難した男性の両親のコメントが一番説得力があるように聞こえます。

「登山者の義務は自分自身を守ることで、人命救助ではない」(朝日新聞

これ、レビューと繰り返しになりますが、日常生活においても然り、と思います。幸いにしてというか何というか、極限の世界に置かれているわけではない私としては、日常生活で人に救いの手を差し伸べる余力を持てる程度には自分を鍛えておきたいと思います。