沢木耕太郎『杯 WORLD CUP』

杯 WORLD CUP

杯 WORLD CUP

本館にブックレビューをアップした本書。先日、文庫本になりました。こちらは裏レビュー。
実はこの本、2年前に『冠 OLYMPIC GAMES』と同時に刊行されています。その時に感じたことが最近形を変えて頭をもたげてきたので、忘れないうちにまとめておきます。
本館でも書いたのですが、沢木耕太郎はサッカーの競技経験がありません。普段サッカーを書いているわけでもありません。したがって本書にはワールドカップ・サッカーに対する好奇心や、彼にとっての目新しさというのが滲み出ています。
それに対してアトランタ・オリンピックの観戦記である『冠 OLYMPIC GAMES』では、商業主義に走ったオリンピックに対して非常に冷徹な眼差しを向けています。世界規模のスポーツ大会における「鼻つまみ者」であるアメリカで開催されたという点を差し引いても、あまりにも対照的です。これが2年前に感じたことです。
で、最近『杯』を読み直してもたげてきたものとは、もし沢木におけるワールドカップとオリンピックの相違が目新しさだけに起因するとすれば、いつか彼もオリンピックと同じようにワールドカップを見るようになってしまうのではないか、という「全くもってお節介な懸念」です。
『杯』の中で言うように、彼はワールドカップを見る目的の一つとして世界最高レベルのチーム同士が繰り広げる「最高のもの」を見ることを挙げ、そしてそれには日韓大会では出会えなかった。出会えないうちにオリンピックを見る目と同じようになってしまうのではないか。
ただ、彼のワールドカップとの出会いは本書を読む限り幸せなものだったようなので、その第一印象がそのまま続いてくれることを一ファンとして願っています。
この「懸念」は、実は自分自身にも向けられたものなのです。
今回のワールドカップを迎えるにあたって、どうもあまり高揚していない自分に少し困惑を覚えています。大会が始まれば瞬間湯沸かし器よろしくあっという間に沸点に達しそうなのですが、それでも前回大会の時はもう少し前から「温まって」いたように思えます。
本館ではしばしば「代表より札幌!」と言ってきました。確かに札幌への思い入れは4年前よりも強くなっています。しかし、前回大会の時はチームはひどい状況で、しかも大会による中断期間がありました。今回はリーグ戦が続いていることも影響しているでしょうが、それはワールドカップそのものに対する熱とは別問題という気がしてきました(「本館であれだけ『盛り上がらない』言うといて何やねん」という方ゴメンナサイ)。
ジーコのチームに対して感情移入できていない、という理由も挙げてきました。しかしこの点についても、ちょっと自分でも分からなくなってきました。選考過程に言いたいことは様々ありますが、では現状であのメンバー以外を選べといわれればちょっと困る。試合内容についてもいろいろ文句を言ってきましたが、じゃあ2002年のチームに対してはどうだったかというとやはり文句を言っていた。そして監督として比べた場合、やはりトルシエよりジーコの方がずっと感情移入しやすい。チーム・監督のせいではない気もしてきました(本館で「ジーコダメ!」と言ってきたのをお読みの方ゴメンナサイ)。
地元開催でないことの影響は大きいと思います。この本を読んでいて、沢木の熱のいくらかは日本と、そして韓国で開催された大会であるというところから出ていると感じました。私も試合を見ることで大会を多少なりとも実感できましたし、それ以外にも大会を身近に感じる体験は多くありました。
でも、やはり最大の原因は「目新しさ」がなくなってきたことにあるのではないかと思います。「出て当たり前」という世論の勘違いとは距離を置いているつもりですが、それでも3大会連続となると慣れというものが出ているのかも知れません。そしてそのことに加えて確実に自分が年を取ったということも「目新しさ」を感じられなくなった最大の理由だと思います。2002年・28歳、98年・24歳。同じ年頃の若者と話していても、彼らほど興奮できていない自分がよく分かります。逆に同じようにはしゃいでいたとしたらそれはそれで問題だとは思いますが、4年前・8年前には間違いなく同じようにはしゃいでいました。
年を取ることが悪いとは言いませんが、前々回と前回の間にはこんなこと感じなかったので、忘れないように書いておきます。もうコレ、ブックレビューとは呼べない(笑