蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

主題は恋愛ですが、それだけでなく人生について考えさせられる示唆に富んだ言葉が多く、おもしろく読めました。解説で池上冬樹が指摘するとおり、時代設定が70年代であるため、描かれている恋愛模様は「古めかしい」もので、だからこそ爽やかな読後感が得られたのだと思います。

【注意】ここから先は内容に触れています。


主人公は名家の出であるという家のしがらみや許嫁から逃れるために東京を離れ、大阪万博のコンパニオン(ホステス)として半年間を過ごし、そこで出会った男性と恋に落ちるものの彼は在日朝鮮人で、結局彼女は彼と離れて帰京・結婚するものの、再び彼と出会い…。って、いま書いてて思ったんですが、こうして書いたあらすじと実際の小説の中身とがこんなに一致しない自分の文章力が恥ずかしい、これじゃまるで昼ドラだw
実際の中身は、さっきも書いたように己の生き方について考えさせられたり、女というものの理解に役立ったりする(!)言葉に溢れています。とりわけ共感を持ったのは、主人公が、あれだけ愛していたにもかかわらず出自が原因で臼井との人生を選ばなかったこと、そのことで彼の妹を死に至らしめたかもしれないこと*1など、全てを受け入れて生き、死んでいったという点です。
良かれ悪しかれ、人間は自分が関わった全ての人との関わりによって自分たり得ているのだと思うし、そうした人々のことを忘れずに心に留めておくことっていうのは、とても大事なことなんじゃないでしょうか。その上でいま目の前にいる人との関わりを大切にする。自分は既婚者ではありませんが、主人公の「程度の差こそあれ、胸の内に他の誰かを思い描かない既婚者などいるはずがない」という言葉、ボクは半分賛成です。


とにかく、読んでみれば分かります。人生は悲しく、せつなく、そして実り多い。

*1:物語には明記されていませんが、妹・成美の死を知らせる葉書を見た主人公のモノローグ「その文面のさりげなさは、成美さんは本当に心不全で死んでしまったのかもしれないと思わせるほどでした。」は自分たちの出自が原因で兄と主人公が引き離されたことに起因する彼女の自殺を暗示している、という解釈で良いんだと思いますが…