プエルタの死去、悲しみに暮れるスペイン(スポーツナビ)

 プエルタの死去から一夜明けたスペインは、いまだ悲しみに暮れている。スポーツ紙も含めた29日の各紙一面トップには、プエルタの訃報(ふほう)が大々的に報じられた。22歳の若すぎる死を悼む声は、涙とともにスペイン中から聞かれている。

 プエルタはセビージャのカンテラ(下部組織)出身として、ヘスス・ナバスとともにクラブの象徴的選手であり、その温厚でオープンな性格から地元ファンやマスコミからの評判も非常に良かった。また、セビージャのファンが今でも語り継ぐ2006年4月27日、UEFAカップ準決勝シャルケ04戦のスーパーゴールは「セビージャの人生を変えたゴール」とまで言われている。そのゴールによって初のUEFAカップ決勝進出を果たしたセビージャは、それから瞬く間に5つのタイトルを獲得した。公式戦88試合(リーガ55試合)に出場し、通算7ゴール、そして何よりその短い選手人生で5タイトルをセビージャとともに獲得した経歴は輝かしいものがある。

 また、選手としての未来はもちろんのこと、プライベートでも10月に父親になる予定だった。「アイトール」と既に名付けられた息子の顔を見ることなく他界してしまった現実はあまりに残酷だ。公私で順風満帆の未来が待ち受けていたはずのプエルタの訃報に、スペインのみならず世界中のサッカーファンが言葉を失った。

 スペイン時間8月28日の14時30分、突然の病に倒れてから約60時間続いてきた戦いを終え、アントニオ・プエルタは静かにこの世を去った。何度も心停止に見舞われ、孤独な戦いを強いられてきた彼にとっては、22年の人生の中で一番厳しい試合となったに違いない。そのピッチにはいつもいるはずのチームメートもいなかった。指示を出してくれる監督もいなかった。ただ、ピッチの外から同じく人生を駆けてエールを送ったファンが多かったからこそ、彼は孤独ながらも勇敢にピッチの上で戦い続けていたのかもしれない。

 スペインサッカー界が失ったものはあまりに大きいが、プエルタが残してくれたもの、気付かせてくれたものも多い。26日にはレクレアティボとの試合を終えたベティスの選手たちが、プエルタの入院する病院へ見舞いに訪れ、安否を気遣った。28日、訃報を聞いて市内の病院に駆けつけたファンの中には、ベティスファンも多く含まれていたという。セビージャのサッカーファン、街がひとつになりチームの枠を越えた一体感がそこにはあった。

 また、本来そばにいるはずのセビージャのチームメートが、彼の死に目に会えなかったことは残念だ。「サッカーより大事なことがある」と誰もが分かっていながら、目の前の試合や過密日程を消化するため、危篤のプエルタを残してチームはアテネに向かった。この現実は、今のサッカー界があらためて直視すべき問題だ。そして今回の心停止の前に既に2度、試合と練習で気を失ったことがあるというプエルタの死の原因究明、サッカー界としていかに選手の体、命を守っていくかという対策など、彼の死を無駄にしないためにもサッカー界には多くの課題が残されている。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20070829-00000023-spnavi-socc.html