エリツィン前ロシア大統領死去(asahi.com)

 ロシアのボリス・ニコラエビッチ・エリツィン前大統領が23日死去した。ロシア大統領府が発表した。心臓が突然停止したとしているが、詳しい死因は不明。76歳だった。旧ソ連崩壊に決定的な役割を果たし、新生ロシア最初の指導者となったが、国民生活の面ではめざましい成果をあげられないまま、99年末、政権をプーチン現大統領に譲った。

 対日関係では93年に訪日、当時の細川首相との間で署名した「東京宣言」で、択捉、国後、歯舞、色丹の4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することで合意した。さらに90年代後半には橋本龍太郎首相と20世紀中の平和条約締結を目指す「クラスノヤルスク合意」を交わすなど、関係打開に執念を燃やしたが、平和条約の締結は果たせなかった。

 エリツィン氏は、旧ソ連ゴルバチョフ政権初期の85年にスベルドロフスク州からモスクワに引き上げられ、86年には共産党政治局員候補に昇格した。一時保守派との対立が原因で失脚したが、その後、民主改革派の指導者的存在となり、ソ連人民代議員、ロシア最高会議議長を経て、91年6月にロシア初代の大統領に選ばれた。8月の保守派によるゴルバチョフ政権へのクーデター未遂を阻止したことで、決定的な権力基盤を築いた。

 ソ連崩壊後、最高会議との対立が頂点に達した93年10月のモスクワ騒乱では、軍を動員し、議会を攻撃、解体した。96年の大統領選で再選をしたが、99年12月、任期を残したまま当時のプーチン首相を大統領代行に任命し、引退した。

 エリツィン氏は、新生ロシアで、価格自由化や民営化などの市場経済化政策を柱とする改革路線に着手した。一方でチェチェンに軍事介入し、一般住民に多数の犠牲者を出すなど、強権的な政治手法も目立った。