武田雅哉『<鬼子>たちの肖像 中国人が描いた日本人』

先日「誰が言ったジョークかはっきりさせて書け」とイチャモンつけたのは、この本が念頭にあったからでして。随分前にでていたのですがなぜか手に取る機会がなく、つい最近読んだ次第です。
確かにジョークと『点石斎画報』では言説としての次元が違うし、清朝にとっての敵国である日本に対する感情と、敵意すらも笑いに変えるユーモア精神を同列に扱うこともナンセンスです。が、「ニヤニヤ笑いながら、奇態に書かれた、自分という名の<異人>の肖像画のできばえを、隣人同士、たがいに鑑賞しあう」(p.237)ような大人のつきあいを築くためには、やっぱり「相手は何を考えて、どういう価値観でものを言っているのか」を忘れちゃダメだと思うんですよね。これ、何も異邦人との付き合いに限ったことではないと思います。


ところで、本書では導入として、中国人の「人」と「鬼」の差別化の根底に「華夷の別」があるという点が述べられています。これはこれでもちろん間違ってなどいないのですが、この「文化の浸透度による差別化」は何も「華夷の別」に限ったことではないと思うんです。
例えば近代以降の西洋がアジアやアフリカを見る眼差しには「キリスト教的価値観」のみを文化とする思考があったわけですし。また、侵略のための方便とは言え、彼らは自分たちが「未開・野蛮を文明化する」使命を帯びていると信じて行動している。
そうすると、「『中華』を中心とした文化の浸透度による同心円的構造をもち、文化が浸透すれば夷狄も中華たり得る」という「華夷秩序」は、他の世界における差別化、「いずれは文明化できるんだ(するんだ)という傲慢な思い込み」とあんまり質的に変わらないんじゃないかと思えてきます。ただ「同心円状」ってところが特殊なだけで。またブックレビューと呼べない代物になったorzのでもう終わります。