喪失と獲得

普段見慣れた街並みから、突然ある建物が消える。あまり入ることのなかった喫茶店、何となく気になっていた飲み屋、ついこの間まで使っていたコンビニ…。消えてしばらくすると、そこに何があったかすら思い出せなくなる。あそこにあったガソリンスタンドはどこの会社だったか、そこが民家だったのかアパートだったのか、いや、ずっと前から更地だったかも知れない…。

なくなった建物の記憶がいつまでも残っていると新しいものについての記憶の邪魔になるから忘れてしまう、そのように人間の頭は出来ているんだと、そういう意味のことを知り合いが言っていた気がします。札幌に住むようになって十数年、そこに何があったかどうしても思い出せない場所がいくつもあります。

でも、そこにはちゃんと新しいものが出来ていて、新しいものにまつわる記憶も蓄積されてゆく。喪失と獲得…。普段何気なく見ている街並みでも、失うことと得ることは表裏一体となって進行している。

例えば一個の人間の人生とか、組織の歩みとか、およそ人間の営為というものは、この「喪失と獲得」の繰り返しだと言えるのかも知れません。故郷を離れ、新たな土地に根付き、大事な何かを失い、大切な何かに気付く。

でも、5年前の「あの日」から、誰か、何かを得ることができたのでしょうか。積み重ねるべき新しい記憶の出来ないうちは、あそこには何も建てちゃいけないような、そんな気がします。